儒教とは


江戸期、「論語」をはじめとして武家社会に広く受け入れられた儒教の思想。
「論語」に関しては別項で述べたので、爰では儒教全体の考え方に就いて考えてみよう。

儒教とはそもそも中国思想である。
中国では「儒・佛・道」等と言って、儒教の他に仏教・道教を加えた三つを、思想の代表的なものに挙げている。

仏教は日本人の我々にも馴染み深いものであるので、説明の要はあるまい。
では道教とは何か。儒教を考える前に、少しこの「道教」に就いて触れてみよう。

 

 

 

 

道教

道教とはそも何なのか。
窪徳忠氏に拠れば、

「古代の民間の信仰を基盤とし、神仙思想を中心として、道家、易、陰陽、五行、緯書、医学、占星、卜筮、巫の信仰を加え、仏教の組織や体裁にならってまとめられた不老長生を主な目的とする呪術宗教的な傾向が強い現世利益的な自然宗教である」

となる。
その起源は、元々は何処の国にでも在る「原始宗教」的なものであったろう。
更に(どちらが先か判らないが)、民間信仰───日本で言えば、「痛いの痛いの飛んでけー!」の様な───も其処に加えられ、別系統で成立したであろう「易」やら「陰陽・五行思想」やら「風水」やらも取り入れ、更に理論武装する為に、恐らく全く関係の無い「道家の思想」やら、果ては「仏教の理論体系」迄をも取り入れた、成立からして胡散臭い事夥しい「闇鍋宗教」である。

民間道教と成立道教

道教には、道士が信仰する様な道教と、民間で信仰される道教とがあるらしい。が、この区別をするのは私には殆ど無理。
其の点に就いて、上の「民間信仰」の部分を、「民間(民衆)道教」。道士などが正式に学ぶものを「成立道教」と窪氏は分類して居られた。(「この分類は間違いであった。」と後に撤回されていた様だが、私にはそれで良いと思われるのだが・・。)

「民間道教」と「成立道教」の区別は無理だと述べたが、民間信仰として分かり易い点を幾つか述べれば、「民間道教」の代表的なものは、門神を貼る事やら、「福」の字を書いた紙を壁に逆さに貼り付ける行為などが挙げられようか。

「門神」とは、門扉の左右に貼る二枚の絵で(一枚戸に貼る一枚のものも有り)、武門神か文門神の絵がデザインされて居る、要は門から悪鬼等が入り込まない様にする為の魔除けである。
図案は様々で、孔子、孫ビン(表記不能・孫子)やら関羽やら趙雲、馬超等実在の人物から、燃燈道人やら観音、送子娘々五路財神などの神仙迄多岐に亘っている。

一方、「逆さ『福』の字」は、赤い正方形の紙を斜めにしたのに金字などで「福」と書き、それを逆さにして壁に貼るものだが、これは語呂合わせである。
「福到来」を意味する「ぷーたおら」。一方「福が倒れる(福倒了)」も「ぷーたおら」。
「福」がでんぐり返っているから「ぷーたおら」・・・。只それだけの事である。

それで思い出したが、もっと酷い語呂合わせ的まじないがある。
家の構造に拠って、風水的見地から「西を家の中心に持って来る」必要が生じる事があるという。
「西を中心に持って来る」???何だか意味不明だが、実際どうするのかというと、「西」という字と「酉」という字は似ている。「酉」は「鳥」である。鳥は鳥籠に入る。随って、「家の中心に鳥籠を持って来る」というのが解決策となるらしい。なんじゃそりゃ!

こうした「語呂合わせ」等もお茶目に交え乍ら、「民間道教」は成り立っているのである。この様な事は、恐らく道士が民間に伝えたのではあるまい。此の辺りを私は二種類の道教の判別を可能にする点だと見ている。
(尤も、こうした民間の信仰総ての起源を道教であると定義すればの話である。詰り、民間に信仰されている儀式を調べてみると、仏教や儒教に由来しているものも実は尠くはないのだ。)

道教の目的

民間で信仰される道教の目的が、「商売繁盛」であったり「金儲け」であったり「魔除け」であったり「安産」であったりと、即物的な、現世利益を追求するのに対して、成立道教のそれは「不老不死に成る事を最終目的とする」と言っても過言ではない。

無論、道士達が法力を以って作成する「御札」等には、こうした現世利益を目的としたものが有るのも亦事実である。が、渠等の最終目的は飽く迄「神仙と化す」事であるから、渠等が現世利益的御札を作るのも、「落語家は噺を上手く演ずる事が目的なのにも拘らず、謎掛けや都々逸迄修練する」というのと一緒か。(?)

因みに、道教の影響で日本に派生したと言われる「修験道」の目的は、最終的に「空を飛ぶ事」なのだそうだ。
飛んでどうするつもりなのか知らないが、飽く迄「自力で飛ぶ」のが目的なのだろうから、譬えハングライダーを目の前に置かれようが、ドラえもんが竹コプターを手渡そうが、バードマンが「パーマンセット」を持って来ようが、渠等が修行をやめる事はあるまいと思われる。

道士達は、どうすると神仙になれると信じているのだろうか。道教の教科書的な書物(?)によって、その方法は異なる。以下ちょこっと列挙してみよう。

@、金丹を呑む
金丹とは炉で練りに練った丹薬であるが、その原料を調べると「水銀」である。
中国の皇帝で道教に傾倒した者の中には、道士に金丹を練らせて服用したのがある。当然死んだが、人が仙人になる時、「()(かい)」という方法があるという。これは、実は其の人の本体は仙人になって生きているが、死体の様な抜け殻を残して去っていくという遣り方である。
他人には、ただ死んだとしか見えない。詰まり、皇帝に服毒させて死なせてしまった道士は、こうした言い訳で咎めを免れ得たのかも知れない。

A、内丹を作る
修行によって、体内に丹を作ろうとするもの。@よりはかなり健全に聞こえる。

B、体内に仙胎を作る
気を体内に集めて「仙人の赤ん坊」を腹の中に作る。最終的には自分がその「赤ん坊」の中に本体を移し、仙人となって飛び出す。魔界転生を地で行く方法。

C房中術
要はまぐわいである。
男のソレを、女のソレの中に差込み、抜き差ししても漏らしてはいけない。寧ろ、女の液を先っちょから吸うのだ!Σ(o;)ええっ!?
男は陽、女は陰。陽の体内に陰の液体を入れると、陰陽相混じってバランスがよくなるのだそうだが、んじゃ何かい?女の陰の体内に男の陽の気を入れてもバランス良くなって仙女になるのかい?普通は子供が出来て終わりだけど。

こうして修行を経、先に言った「尸解しかい)」等の方法を採って(というか、人間が仙人になるには此の方法しかないらしいが)目出度く仙人となる訳だ。
この「尸解」によって仙人となった者は「尸解仙」と呼ばれるが、これはレヴェルとしては低い方なんだそうで、レヴェルの高い方から、天仙、地仙、尸解仙、水仙となるらしい。
孫悟空等は、敵の妖怪から「混元一気上方太乙金仙」等と呼ばれているが、何だか知らないがよっぽどの事なのだろう。

道教の神々

扨、道教の神々であるが、道教が持つ多種多様な性格を象徴する様に、其の神々も亦、多種多様・・・というか、何でも取り入れて神にしてしまうところがある。
日本の神道も、「八百万(やおよろず)の神」といわれる様に、多くの神が存在する(総ての物に神が宿る・・という事か)が、神道の源流も亦「道教」であるというから、興味深いところでもある。
「封神演義」では、元人間だった者が得道して神仙と化したものと、人間以外の「禽獣玉石樹木」が得道して成仙したものを区別し、夫々の属する系統を、前者は「截教せっきょう()」、後者を「(せんきょう」という二つに分類しているが、これは動物や鉱物等迄も神として成立させてしまう道教の性格を物語っている

また、道教は他の宗教の神仏をも取り入れてしまう事も有る。
仏教でもヒンドゥ教の神を取り入れておいて、平然と開き直って「仏教を信じなさい」だとか言って憚らないところがあるが、道教だと、更に其の仏教のキャラクターをも取り込んでしまう。
観音娘々」みたいに、菩薩やら明王やらを取り込んでしまう。甚だしきは冥界の神(閻王)として取り入れてしまう事もある。
例えば、
不動明王・・・秦広大王太素好広真君
釈迦如来・・・初江大王陰徳定休真君
文殊菩薩・・・宋帝大王洞明普静真君
等である。
冥王は十人居る事になっているから、こういうのがあと七つ続く事になる。
仏教の位には如来・菩薩・明王の他に、天部・大将という位もあるらしいが、この天部の神も道教は取り入れる。
所謂「四天王」の一人である「多聞天」も其の一人で、これは別名・毘沙門天ともいうが、是を道教は「托塔李天王」として取り入れた。
「托塔李天王」は、「封神演義」では、「哪咤」の父として登場した。
「西遊記」では「封神演義」同様、「哪咤三太子」の父として登場したが、これは「封神演義」に登場した時の様な凡夫としてではなく、歴とした「托塔李天王」
という神として登場させているが、西遊記の話の中で、前述の「四天王」が玉皇上帝の天宮の門番として登場しているのに、それとは別に「托塔李天王」という別人格として登場するという矛盾もある。
「托塔李天王」の出自としては、先に書いた「毘沙門天説」の他に、「実在の人物説」等もある。

哪咤・・・大羅仙の生まれ変わり。太子爺太子元帥羅車太子中壇元帥などと呼ばれる。安納版封神演義では「なたく」とルビがあった様に思うが、中国語の発音からして、小野版西遊記の「なた」という読み方が適当ではないか。
(某サイトで此処に記した「太子爺太子元帥羅車太子中壇元帥などと呼ばれる」という文面其の儘記述されている所が在るが、私は其のサイトからコピペした訳ではない。というか、私が上記の文面を書いた頃には慥か当該サイトにこの項目自体が無かったと思う。とは云え、私は別して其のサイトが此処の文面をパクッたと言っているのでもない。私を含めてこうした情報を得るに出典は必ず有る訳であるから、或いは同様の出典から得た情報なのかもしれない。)

観音娘々・・・我々日本人が何となく観音を女性的に見るのは、中国人が観音菩薩を女として見ている事から来ている様である。そういえば「アメリカ横断ウルトラクイズ」で、「観音は女である。○か×か?」という問題が出た事がある。答えは「×」。「正しくは女でも男でもない。」のだそうだが、コレを聞いて憤慨した回答者が、「観音様はオカマかぁ!」と叫んだのが今も記憶に残っている。

この様に、道教は実在の人物を神に仕立て上げる事も平然とする。
日本でも天皇家を「神の一族」にしてしまったり、藤原何某を「天神様」にしたり、徳川家康を「東照大権現様」にしてしまったりするが。
是がキリスト教文化圏になると、「神は唯一」であるという前提が有る為、徳の高い聖職者を「神」として祭り上げる事はせず、其の代り「聖人」や「福者」という存在に仕立て上げる。
併し、「神」or「聖人」と呼称を変えようとも、その存在に求める利益は、洋の東西を問わず、ほぼ一緒である。日本や中国で、「この病気にはこの神様」「こういう苦境にはこの神様」というのがある様に、西洋にも「この病気にはこの聖人」というのがある。挙句、西洋人は個人的な守護霊にもこの「聖人」を当て嵌め、「自分の守護聖人は聖ヴィアンネーだ」などと言ったりする。
是とは別に「守護天使」なるものがあり、日本語でいう「守護霊」の意味と近いのはこの「守護天使」の方の様である。が、両者の違いに就いて詳しい事は筆者には解らない。

話が逸れたが、中華道教で実在の人物を神に仕立てた例を挙げると、孔子は「至聖先師孔子」だし、諸葛亮孔明は「諸葛武侯孔明先師」。関羽は「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君(関帝聖君とも)」。其の養子である関平に至っては「関平帝君(爆)」となる。
其の他、
老子を引っ張り出して来て「道教の開祖」に仕立て上げ、更に「太上老君」という神に封じてしまったのも特筆すべきだ。
「太上老君」は、「西遊記」では玉皇上帝に仕える様なカタチで登場したが、一説に「太清太上老君」ともいい、玉皇上帝より高位な神であるともする。またの名を「無量太清仙境大聖道徳天尊」。
こうして例を挙げると枚挙に遑がないが、それだけ何でもかんでも神にしてしまうという事だろう。
酷いのは、戦時中イナゴの被害が多い土地で、イナゴを駆逐した日本兵を神に仕立て上げ、「駆蝗神」等という名前を付けてしまった事もあるのだというから、テキトーもいいとこであろう。
然も其の日本兵が眼鏡をかけていた為、出来上がった神像も眼鏡をかけているんだとか。

惣じて実在の人物が神様にされてしまうケースでは、此の様に、修行して天界に召されたとか天地の霊気・日月の精華を受けて得道したとかいった、神になる経緯としては重要とも云える要素を全く無視して、当人の知らないとこで勝手に神様に祀り上げられてるだけというケースが殆どなのではないか。
かといって「修行して得道した仙人乃至は神」の修行のエピソードが本当の事であるかどうかは知らないが。

孫悟空に就いて

此の他に、物語の主人公を神に仕立て上げてしまったケースもあり、その好例が「孫悟空」である。これは宜蘭荘囲斉天廟を中心廟宇として信仰されている。

物語の中で「孫悟空」は、自ら「斉天大聖」という位を名乗り、玉帝に仕方なく認めさせた。
(須菩提祖師に初めて道術を学ぶ時、
「天罡三十六般と地煞七十二般の変化があるが、何れを学ぶか。」
と訊かれ、「多い方がいいから。」と地煞七十二般を選んだ孫悟空。
道術にどれだけの数があるか知らないが、七十二の変化を学んだだけで「天と斉しい」とはどういう事か。)

「斉天大聖」とは、「天と等しい」意であり、道教の神の中での地位である。
併し「西遊記」最終回で、唐僧を護って西天取経の旅を全うさせた功から、孫悟空は「闘戦勝仏」として成仏する。
にも拘らず、道教で孫悟空を崇め奉る際の呼称は「斉天大聖」である。
「西遊記」の中での宗教観からして、明らかに「斉天大聖」が「闘戦勝仏」に成るのは出世である。それをわざわざ出世前の肩書きで呼ぶのは何故だろう??更に、横浜関帝廟のパンフレットによれば、孫悟空は「斎天大帝」として天界の南天門を守護しているんだとか。何で西天取経の旅を全うして成仏した者が、敢えて取経以前の称号で門番なんぞに甘んじなければならないのか?尤も同パンフレットによれば、釈迦も阿弥陀も観音も、全て天界の帝である玉皇上帝の指揮下に属するというのが、道教的な見地からは一般的な様だから、沙門の最高位である「仏」になった孫悟空が玉帝の下で門番をしていたとて恠しむにはあたらないかも知れないが。

ところで、中国の人達が「斉天大聖」に求める利益は、主に「退魔」である。
三蔵を護って、妖魔を退治した功に拠るものだが、西遊記を読んでみると判るが、実は殆ど孫悟空一人で妖怪を仆した事など無いのだが。
孫悟空が天界を鬧がせた時、天は十万もの神を天兵として差し向けたが、孫悟空はそれを難無く切り躱した。
が、三蔵と共に西天への旅を始めてみると、悟空はその辺の妖怪一匹に梃子摺り、戦いの最中に逃げ出した挙句、天界に応援を依頼しに行き、諸神の援けを受けて妖怪を下す・・・というパターンが殆どなのだ。

「西遊記」の原本といおうか、本としての粗筋が出来上がったのは恐らく宋代である(だったと思う。)。宋代に出来上がった書物の登場人物(孫悟空)を、天地創世の昔から存在する神仙に仕立て上げて平然としている中国人も凄い。(尤も、孫悟空のモデルとなった「猿の化け物」像は、大昔から東南アジアの壁画に描かれていたというが。)
が、それを言ったら、春秋だか戦国だかの時代に生きた老子を、「道教の開祖・太上老君」として元始天尊の横に配してしまうのはもっと凄い。
さいぜんからチョイチョイ名前が出ているのに「玉皇大帝」という神がある。文字通り「天界の帝」であるが、孫悟空はその「玉皇大帝」に就いて、
「もうおいぼれなんだから、その地位を身共に譲ればいい。」
と漏らす。それを聞いた釈迦如来は打ち嗤って、
「そちはたかが猿の精ではないか。あの方は一千五百五十劫もの間苦行を積まれて無極の大道を身に付けられたのだ。一劫は十二万九千六百年だ。数えてみるがよい。」
と諭すシーンがある。
釈迦の言に従って数えてみると、「玉皇大帝」は二億八十八万年の修行を積んでいる事に成る。だが思い出して戴きたい。老子を神格化した「太上老君」。その太上老君と同レヴェルであるかの様に同席している「元始天尊」というのは、二億八十八万年もの修行を積んでいる「玉皇大帝」の、そのまた上に位置する神である。
然も「封神演義」の中での元始天尊の台詞では、太上老君=老子を指して「私の先輩」と言っているのである。
一体「老子」は、何劫の修行を積んだというのか!?
これは余りにも酷い設定ではなかろうか。

話が逸れた。
孫悟空に就いては、大体が「お話の中のキャラクター」である事が明白な孫悟空を神格化してしまって、更に実際に信仰している人がいるという事自体、私の感覚では理解し難いのだが、韓国の霊能者で、「幽体離脱して孫悟空とまみえた」という証言をした人がいるというのも、もっと理解し難いところである。

西遊記についてはこちら

諸神

道教の諸神の名をちょいと挙げてみよう。

元始天王
天地も別れていない頃から存在した「盤古真人」が自ら称した名前。

無量玉清聖境大羅元始天尊(・・・・)
元始天王と似た様な誕生エピソードから、この二神は混同される。亦の名を上合虚皇道君応号元始天尊
一応最高神。

無量上清真境大聖霊寶天尊
上述の無量太清仙境大聖道徳天尊と偕に、無量玉清聖境大羅元始天尊と席を同じうする霊位の持ち主。元始天尊・霊寶天尊・道徳天尊合わせて「三清」という。


太元聖母
又の名を太元玉女。元始天王と気を通じ、天皇てんこう、扶桑大帝、東王父、西王母を生んだ。

太真西王母
東華至妙の気から化生して東方を治める東王公木公(東王父)に対して、西華至妙の気から化生して西方を治めるのがこの神である。
東王父が男仙全てを支配し、西王母は全ての女仙を支配する。
九光玄女、九霊太妙亀山金母太霊九光亀台金母ともいう。

太上開天執符御暦含真体道玉皇大天帝
玉皇上帝、或いは玉皇大帝と呼ばれる。 
諸説有るが、道教の最高神であるという見方と、元始天尊を道教の最高神とするが、其の霊位が余りにも高い為に一般の人間は元始天尊に直接願い事が出来ない。其の為、玉皇上帝を民間信仰での最高神とする見方がある。
西遊記では最高神扱いをされていた。横浜関帝廟にも祀られているが、像は無かった・・・と思う。廟内の天井に祀られてる???
関帝廟で思い出したが、最近になって、玉帝の座に新たに関帝が就いたのだという噂(爆)があるのだそうだが、二億八十八万年もの前玉帝の修行の功よりも、現世での関羽人気の方が帝位を任される根拠として勝ってしまうというのもどうかと思うのだが。(大体「最近」っていつだ?)

顕聖二郎真君
西遊記では玉皇上帝の甥。神通広大で、遂に孫悟空を捕らえる(というか、太上老君の落とした輪っかを脳天に受けた悟空が脳震盪を起こしたスキにだが。参照)。
封神演義では、登場人物の(楊戩ようせん)
灌口二郎神赤城王などと呼ばれる。
亦、他の神々がそうであった様に、この神も元になったモデルが居り、伝説に依るが趙cという人がモデルだとすれば清源妙道真君、李二郎という人なら英烈昭恵霊顕仁祐王という別名にもなる。

九天応元雷声普化天尊
封神演義では、その登場人物である聞仲が「封神」されたものだという。
実際の道教では、雷部の神の中での最高神。併しそれだけではない。三清たちの棲む「三清境(道教の世界観では最も高レヴェル)」の中の玉清境に棲み、三清を除く神々総てを支配する。
地獄に肉親が堕ちても、この神に祈れば救われる。
此の神に懺悔して祭祀を行う時は、三清をはじめとして、南極長生大帝太乙救苦天尊除災済物天尊以下、雷師雷伯雷公(五雷元帥、雷神爺など)雷雲雷門等、多くの神々を勧請しなければならないので、エライ事になる。
因みに雷部では、閃電神(金光聖母)、また雷公の下に電母というもある。
封神演義では、この配下雷部二十四神の一人として王霊官が数えられている。

王霊官
封神演義では上記の様にお粗末な扱いであるが、昔はかなり信仰されていたらしい。
北宋の徽宋を教主道君皇帝と名乗らせた林霊素という道士の弟子の弟子が王霊官で、元は玉枢火府天将と呼ばれていた。
彼の後継者が明の永楽帝の信頼を得た為に、彼を祀る天将廟が勅建され、彼は隆恩真君に封ぜられた。随って、彼は皇室の信仰を受けた訳である。
因みに西遊記では、佑聖真君の御付きとして天界の霊霄殿という宮殿の留守番なんかをしていた。
八卦炉に閉じ込められていた孫悟空が八卦炉を飛び出して宮殿の前迄来た時、王霊官は、「無礼者!何処へ行く、儂の前で狼藉は赦さぬぞ!」と、孫悟空に鞭を以って戦いを挑み、然もイイ勝負をしている。
相手は天界の神十万を蹴散らした孫悟空である。それとイイ勝負をするとは、主人の九天応元雷声普化天尊より、或いは強いのではないか?
着目すべきは、其の戦いの途中、主人の佑聖真君が雷部三十六神に命じて孫悟空を取り囲んだとある。佑聖真君に就いては下を参照されたいが、雷部の神である等という記述は、尠くとも私の持つ資料には無い。此の辺り、九天応元雷声普化天尊との混同か?

北極佑聖真君
名を茅盈。字を叔申。亀山で西王母から「太極玄真経」を授けられた。
彼の二人の弟も神仙となったが、彼等三人を其の姓から「三茅真君」という。また、一説に元始天尊の化身で、上三皇、中三皇、下三皇の時に天下って夫々太始真人太朴真人太素真人となった。のちに人間の体内に宿って十四ヶ月で誕生し、玉清聖祖紫虚元君などから教えを受け、四十二年間の修行をし、其の修行が完成したのを見た玉帝は、詔を発して彼を天に呼び上げた。またの名を玄天上帝、真武大帝。愛称は上帝爺上帝公

三官大帝
三官とは何なのかに就いては諸説あり。
@上元一品天官賜福大帝、中元二品地官赦罪大帝、下元三品水官解厄大帝
龍王の孫達で、人間との相の子。法力が凄いので玉帝が斯様名付けた。)
A唐宏、葛雍、実倉
B尭、舜、禹
C
上元一品九気天官紫微大帝(総ての星の神々、神仙を統括する。)
中元二品七気地官清虚大帝(五岳、九地の土皇、四維八極の神々を統べる。)
下元三品五気水官洞陰大帝(九江、四涜他一切の水に関わる神々を統べる。)

太乙救苦天尊
地獄に堕ちた者の遺族が此の神に祈れば、地獄に堕ちた者が助かる。
玉皇上帝の脇士というから、その霊位は高いのだろう。

周天星主北極紫微大帝
北極星の神格化であって、玄天上帝の北極祐聖真君とは別物。
元始天尊の第五化身で、三界の星や鬼神を統括。
という説と、
三界を統べ、五雷神を掌握し、雷や風雨を自由に使役。
という説と、
太陽や月をはじめとする多くの星を司る「星の王」で、諸天を統べ、全ての現象の宗主という説あり。別名を上元一品九気天宮紫微大帝。

北斗真君
北斗七星の神格化であって、北極紫微大帝とは別物。
「北斗は真皇老人の命を受け、天・地・水の三官と共に、人間や死者の功過や善悪を調べる」・・・など諸説あるも、主に人の死を司るものと考えるのが普通らしい。またの名を北斗星君

南斗星君
上とは逆に、人間の生を司る。南斗六星の神格化。

南極老人星
二十八宿の内の角と亢の事であって、南斗星君とは別物。この二宿は二十八宿の長とされている。またの名を壽星。
よく壽星・福星・禄星の三つセットの御人形が御座居ますね。七福神の中にもちゃっかり入ってます。

輔元開化文昌司禄宏仁帝君
北斗の魁星の近くにある文昌六星の神格化。またの名を文昌帝君
文昌六星とは、小熊座を皇帝一族とし、其の周囲を文武百官に見立てた星座が有るが、其の中の一つで、名前からして文官の性格を有した星座であろう。
亦一説には、周の武王の時に生まれた張揮が後秦の頃梓潼県で祀られたので梓潼帝君とも。

学問・司命・司禄の神。
文衡聖帝関聖帝君)・孚佑帝君朱衣帝・北斗の魁星と併せて五文昌帝君とも呼ばれる。

東華紫府少陽君
道教の宗派で全真教というのがあるが、その北五祖の一人。
「常清浄経」という奥義書(?)を、太上老君→西王母→金闕帝君を経て入手。
東華帝君というのが一般的呼称。

正陽開悟伝道垂教帝君
鍾離権が元の名前。正陽子と号した。反陽子と接触すると対消滅してしまうのは言う迄も無い。(陽子を「正陽子」とは云わないか。)東華帝君から授けられた奥義を、次の孚佑帝君にバトンタッチ。

純陽演正警化孚佑帝君
呂洞賓が名前。純陽子と号した。呂純陽祖師とも呼ぶ。鍾離権から授けられた奥義を、次の重陽子にバトンタッチ。

重陽子
名を王重陽。水素の同位体の一つ。陽子、中性子、各々一個ずつから成り、化学的性質は水素と同じである。記号2H または D あるいは d で表す。デューテロン。重水素とも。
此処で五祖は終わりなのだが、「五祖」と云う位だから五人居て然るべき処、東華帝君から数えて四人しか居ない。純陽子が重陽子にバトンタッチしたと云うからおかしいのだが、重陽子の前に本当は一人居る様だ。

海蟾帝君
この人がそうで、名を劉操と云うらしい。
風水アイテム三脚蟾蜍という三本脚のカエルの置物が有る。
財運のアイテムなので、口に古銭モドキを銜えているのだが、これは口の中に財運を溜め込んでいる事の象徴らしい。此処からが問題なのだが、このカエルは劉海蟾(りゅうかいせん)」と云う仙人の飼い蛙なので、「劉海仙人到(リウハイシエンレンタオ・・・か?)」と云うと、吃驚して今迄溜め込んだ財を吐き出すと云う。
御気付きだろうが、「劉海蟾(りゅうかいせん)」と云う名の仙人が、恐らくはこの海蟾帝君の事であろうと思われる。「蟾」とはカエルの事らしい。


紫陽真人
名を張伯端。上の五人が全真教の北の五祖だが、同様に南五祖の一人。以下、
翠玄真人石泰。
紫賢真人薜式。
翠虛真人陳楠。
紫清真人白玉蟾。


丹陽真君

名を馬ト。上の十人が南北の五祖だが、全真教(全真道)には他に「北七真」というのが有り、その遇仙派の人。以下、
長真真君譚處端。南無派
長生真君劉處玄。隨山派
長春真君丘處機。龍門派
玉陽真君王處一。崳山派
太古真君郝大通。華山派 
清靜真君孫不二。清淨派


感天上帝許遜
許遜。字は敬之。真ェ母から秘法を伝授され、天下の仙人の長官となった。

保生大帝
病気なんかの時に縋る神。元人間。

崇福昭恵慈済夫人
難産を助ける女神。陳靖姑順天聖母臨水夫人などとも呼ばれる。
天仙聖母青霊普加碧霞元君と加封された事もあるらしいが、碧霞元君との何かの混同に過ぎない。

天仙聖母碧霞元君
一説に東岳大帝の娘で、元は玉女大仙といった。天仙娘々とはこの人の事か。
御利益は男子出生、出世、豊作、旅行の安全、良縁、勝訴、治病など、多岐に亘る。

東岳泰山天斉仁聖大帝
所謂、東岳大帝。泰山府君ともいう。
封神演義では、黄飛虎がこれになったとする。
東岳泰山の神格化。東岳泰山は人の貴賎高下や生死を司る。
一説には玉皇上帝の孫で、人間の賞罰や生命を司る。
東岳大帝の三男は至聖炳霊王。女子が碧霞元君
人は死ぬと魂が泰山に行くので、泰山府君は死後の世界を支配する神だとの認識が広まった。
併し地獄の長官では無い様で、地獄の長官は都北陰大帝ほうとほくいんたいてい
地獄の長官ではないとは云い乍ら、俗説に、泰山には冥府の禄命(寿命や生涯の地位)簿が保管されてあり、東岳大帝は其の管理の最高神であると云う。

池頭夫人
都大帝の住む御殿の左側には血の池地獄があるが、その血の池地獄を司る女神。

竜如意正一竜虎玄壇真君
一名文財神という。よく中国で、「五路進財」と書いた紙を持ったおっさんの絵を壁に貼ったりするが、其の絵のおっさんが文財神である。招福の神。
こんなのか
招宝天尊
納珍天尊招財使者利市仙官の四神を統べて迎祥納福を司る。
一方、関羽等は武財神。

天上聖母
別名媽祖。航海の守護神。沖縄等でも信仰されているらしい。
「福建省莆田県の林氏の六女」と云う説が有るが、研究者は是を作り話だとし、実際は同地に十世紀頃居た巫女を祀ったものだとする。
評論家(別に道教の評論家ではないが)の黄文雄氏は媽祖を指して、「何処の馬の骨とも知れない媽祖」と言い放つが、一理有る。

侍者として千里眼順風耳が居るが、此の二人、西遊記では玉帝のそばに居た。
(最近横浜中華街に媽祖廟である「天后宮」なるものが出来た。船乗りやら海上ルートで物を輸入する業者なら参拝しても良かろうが、一般人は余り関係無い様な気もせぬではない。関帝廟もそうだが、参拝するのに線香代込みで500円は高い。
※追記・・・横浜天后廟は初め、門を入って階段を昇るのも有料だった様な気がするが、最近は廟内に入るのは有料だが、階段を昇って賽銭箱の手前に行く迄は無料と成っている。)

三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君
上で鳥渡触れたが、改めて御紹介。言わずと知れた「三国志」の関羽の神格化。
関聖帝君」「関帝聖君」と呼び方が定まらない。略称「関帝」。他に「関帝爺」「蓋天古仏」「協天大帝」「伏魔大帝」との呼び名有り。これ等は武神としての呼び名か。
関羽が春秋を愛読していた事から儒教神としての一面も有る。春秋は孔子の著わした書物である。孔子の事を「夫子」と呼んだりする事から関帝を「山西夫子」「関夫子」とも呼ぶ。亦、関羽は春秋を読んで塾の先生もする位だったから学問の神扱いもする。それゆえ「文衡聖帝」と呼んで、五文昌の一人ともする。
更に彼がソロバンと金銭出納簿の発明者だとの伝説から、財神の扱いも受ける。
更に更に、仏教でも護法神として「関帝菩薩」「伽藍菩薩」と呼ばれるらしい。
清代には「関帝を祀っていない村は無い」と言われた程盛んに信仰されたらしいが、現在でも其の人気は衰えていない様で、何かで読んだが、何処のチャイナタウンにも関帝廟は在るんだとか。
信仰の対象としての性格も、上で挙げたものに加え、災難を予知する神祈れば死者をも甦らせる神天界の南大門の門番等が有る。天界の「南天門」を守るのは斉天大聖(斎天大帝)孫悟空だと関帝廟のパンフレットに書いてあったが、「南大門」と「南天門」は別なんだろうか。
亦、地獄の長官等とも云う肩書きも有るらしいが、地獄の長官は
都北陰大帝ほうとほくいんたいていではなかったか。関帝の勢いは凄まじく、地獄の長官の地位を奪うに留まらず、挙句の果てには「玉帝」の項目でも書いたが、関帝が最近民間信仰の最高神である「玉帝」の座に就いた等と云う噂(!)も有ると云う。
更にどさくさに紛れて台湾・韓国では関帝を「民族的英雄神」として崇めているらしいが、台湾は解るが何で関羽が韓国の民族的英雄なのか意味不明。「孔子が韓国出身」だと言い張る韓国人が居ると云うニュースがあったが、まさか関羽も韓国出身だ等と言い出すんではあるまいか。

扨、此の間天后(媽祖)廟に行ったら、媽祖の御守りを売っていた。まさかと思って関帝廟に行ってみたら、案の定関帝の御守りも新発売されていた。同じメーカーの物の様だ。
中華街と云うのは、そう云う事が多い。何処かで何か売り出すと、各所で一斉に同じ物を売り出す。まあ関帝廟も天后廟も管理者が一緒なんだろうから、そう云う事が有っても不思議ではないが。
併しよく考えてみるとこの「御守り」と云うやつ。日本独自の物ではないのかな?日本では寺院も神社も御守りを売っているが、アジア各地ではどうなんだろう?仮に御守り自体が中国から入って来た物だとしても、中華街の二つの廟で売っている御守りのデザインは、明らかに日本の神社仏閣で売っている物と同じデザインで、全く中国っぽくないと思うのは私だけだろうか。恐らく御守りの発注も中国に依頼せず、日本の御守りメーカーに頼んだものだろう。
加えて関帝廟では、あの「霊幻道士」の書く様な「お札」も売っているが、廟の中国人のおばちゃんに訊いてみた處、道士が書いたものではないとの事。では誰が書いたんだ?と云うかそもそも印刷だが。
おばちゃん曰く、「道士が書いた物ではないが、関帝のパワーが入っている」んだそうだ。何で分かる?
大体が、「関帝廟百何十周年祭」等と記念の祭祀を行う際にも、関帝廟では道士を呼ばず、何宗か知らんが日本の坊さんを呼んで読経をあげて居るくらいだから、「お札」如きに道士を呼ぼう筈も無い。坊さんの方だって「関帝を呼び出す法」等、修行しては居るまいに・・。
こうなると「御守り」の方も、本当に誰かがお祈りをして神社仏閣(道廟or道観)で売るに足る物に仕上げた代物かどうかが怪しく成って来る。御守りやお札と云うのは、効くかどうかは別として、少なくとも坊さんや神主や道士が御守りに祈りを籠めた物であるから「効くかもしれない」と思えるのだ。だが関帝廟・天后廟のは下手をすると「神社仏閣の近所の土産屋で売ってる御守りモドキ」と同じ物をただ売ってるだけなのではないかとの疑惑も浮上して来るワケである。

話が冗長になるのを承知で続けるが、横浜関帝廟の関羽像の前にミニチュア関帝が置かれているのを見て、一体何の意味が有るのだろうと思った事が有るが、あれはミニチュア関帝を店で祀る為に魂を入れているものらしい。日本で云えば、仏壇に祀る仏像に坊さんが魂を入れる様なものだろう。併し一体誰が関帝像に魂を入れるのか?
先年、中華街の某店のサイトに、「店で祀る為に、ミニ関帝像を関帝廟に置いて来た」と云う記事が載っていたが、其のリポート記事に拠ると、どうも唯関帝の足元にミニ関帝を置いて来て一日かそこらほっといただけの様である。此の場合も道士が来て魂を入れてくれるワケではないらしい。
「無事、魂入れも終え、店に祀りました」
等とリポートを締め括って居たが、其の店も客が入らなかったか2007年に閉店している。因みに此の店が関帝を祀る為に揃えた仏具(と云うか道教祭祀の道具)を売っていたのは関帝廟前の道教ショップだったが、此の道教ショップも潰れ、現在はファンシー中華小物屋さんに変わっている。
関帝の霊験を疑う訳ではないが、祀るんならキチンとやった方がいいのではないかと老婆心乍ら思う次第である。


護国顕応公

護国西斉王崔府君とも。
昼は人間界、夜はあの世を司る。それにしても、あの世を司る神が矢鱈多いのは何故だ。

火祖
九天応元雷声普化天尊が雷部の最高神である様に、火部や水部にも最高神がある。
火部での最高神は火祖大帝なんぞと呼ばれる神である。これを火星と関連付け、火徳星君螢惑けいわく()火徳真君などとも呼ぶ。
火部には此の神以下、祝融火神竈神という指揮系統(?)が見える。

土地神
日本で、つまり神道でいう「土地神」にどんな種類があるのかは知らないが、中国では城壁に囲まれた大きな町を護るのが城隍神、もっと狭い範囲の土地神が福徳正神(横浜関帝廟に入って右手に祀られてある。)で、土地公土地爺伯公などと呼ばれる。そしてもうひとつ、墓場を護るのが后土神である。土地龍神などというもある。
横浜関帝廟に入って左側に地母娘々というのが祀ってあるが、これは伏羲と共に天地創造した女媧娘々の別名だそうだ。

女神
高位の女神の称号は「元君」であるが、一般的な女神の尊称というか愛称というか・・・は「娘々(にゃんにゃん)」という。(因みに男の神に対する愛称は「爺々(いぇいぇ)」)
出産を促進する催生娘々。子授けの送子娘々送生娘々授児娘々。生育を助ける子孫娘々。出産を護る註生娘々。眼病を治す眼光娘々。天然痘を治す痘疹娘々。北斗七星の母である斗母元君も、斗母娘々と呼ばれる。
他に、奶母娘々金姑娘々泰山娘々広生娘々三霄娘々天花娘々女媧娘々七星娘々金天娘々等があるが、まだまだあろう。

道教の世界観

道教の神仙の名前を幾つか挙げたが、本気で調べて数え上げたとしたら、神仙の名前はこの数倍〜十数倍(或いは数十倍?)はあるのではないかと思われる。それをやるのも一興だが、誰も読んでないだろうからやめておいて、少し道教の世界観に就いて、「洞玄霊宝真霊位業図」から拾って書いてみよう。
この書では、神仙の世界が、其の位に基づいて七つの階層で構成されているとする。

第一階の中心に置かれているのが元始天尊。其の左側に五霊七明混生高上道君以下二十九神が。右側には紫虚高上元皇道君以下十九神が並ぶ。

第二階は、中心に上清高聖太上玉晨玄皇大道君。左側に左聖紫晨太微天帝道君以下赤松子など三十八神。右側には右聖金闕帝晨後聖玄道君以下六十六神が。この右側には紫微元霊白玉亀台九霊太真元君(西王母?)以下南岳魏夫人上元夫人王上華などの女神五十八神を含む。

第三階は、中心に太極金闕帝君姓李(李姓という事は老子か?)。左側に太極左真人中央黄老君以下五十神。右側に太極右真人西梁子文以下三十三神が並ぶ。

第四階は、中心に太清太上老君(これも老子)と上皇太上無上大道君の二神。左側に正一真人三天法師張以下六十三神が。右側には太清仙王趙車子以下二百二十二神が並ぶが、この右側に上天玉女など二十八の女仙が含まれる。

第五階は、中心に九宮尚書。左に左相以下十九神。右に右相以下十六神。

第六階は、右禁郎定録真君中茅が中心。左に三官保命小茅君以下六十神。右に右理中監劉翊以下百十六神。

第七階は地獄関係の神々が名を連ねる。中心に鄷都北陰大帝。左に北帝上相秦始皇以下五十五神。右は中厩直事如世尚書以下五十一神が並ぶ。

この「世界観」で挙げた神の総数は837である。
「洞玄霊宝真霊位業図」というのは、上清派という道教の一派の作ったものである。
道教には他にも流派があるので、その悉くが少しずつ違う神を立てていたとしたら、其の総数は一体如何程になるか・・。
挙句に民間で信仰されている神や、古典小説に登場する神迄足して考えるとしたら、猶更とんでもない数にのぼるだろう。

扨、紙面が尽きた様だ。
以上で「儒教について」を締め括りたいと思う。

了。


こんな本は如何でしょう?

中国の神さま  道教典籍目録・索引改定増補

道教とはなにか   中国と日本の神

シリーズ道教の世界1   道教秘伝 霊符の呪法

道教の経典を読む   民衆道教の周辺

 

inserted by FC2 system